undefined


細かいことはおいおいと…


情報処理

またまたIT技術関係ないポエムです。
技術ブログを目指したはずなのに…

家族で海や川や山に行くことがあるのですが、妻や長女は川の中にいる魚、木々の中にいる鳥をすぐに見つけます。
僕や長男・次男はいると言われて指指す方向をじっと見つめないと見つけることができません。
不思議と一度認識できればその後は割と簡単に見つけることができます。

妻は車の運転中でも、歩道で他と違う動きの人、気分が悪い人や警察官をすぐに発見します。

「なんであれが見えるの?」と毎回不思議に思っています。

そこで僕なりの仮説なのですが、人には「見たままを絵として認識する人」と「見たことを記号化(言語化)して認識する人」がいるのではないかと思いました。

妻や長女は風景そのものを頭で処理できるのではないかと思います。
僕や息子たちは見たものを一度記号化します。 そのためそこに存在するはずの情報がごっそり抜け落ちます。
ひと目見て言語化しなかったものは記憶にも残りませんし、複雑なはずの川や木々が「川」や「木々」といったシンプルな「記号」になってしまいます。
一度頭が認識したものはその後は記号化されるため次からは認識できるようになります。

普段の生活を見ていても妻は幅広い情報を並列で適当に扱うことができるようです。
僕は狭い情報を理詰めで処理することしかできません。

人の顔を記憶する処理も同じように違う気がしています。
妻は一度会った人のことをあまり忘れません。
町中で「あ、あのコンビニの店員さんだ」とかよく言っていますし、芸能人の髪型や服装が変わっても惑わされません。
おそらく人のそのままの姿を記憶しているのだと思います。

一方僕は、その人の特徴的なパーツを記憶しています。
「目の大きな人だ」とか「髪が長くて色が白い人」というように。
そのため、芸能人が髪型を変えるともう同じ人とは気づかない場合も多いです。

この辺りの頭の中の情報処理の方法が人の考え方そのものに影響を与え、あまり好きな言葉ではないですが「理系」「文系」と呼ばれるような考え方の違いになっているのではないでしょうか。